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上は大野川方面から見た九六位山(左)と夜明ヶ城(右)

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上はよく憶えていないが広内の近くから写した九六位山(左)と夜明ヶ城(右) 。
夜明ヶ城は岳と呼びたくなるようなピークがある。

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上は中戸次川床の堤防から写したもので、正面が横江山、その左が夜明ヶ城。

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夜明ヶ城の頂上の様子。

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夜明ヶ城の四等三角点(日平)。

夜明ヶ城(よあけがじょう)という山の名前、戦国時代に山城があったのだろうと思っていた。お城の名前にしては何とも魅力的で色々調べてみたが由来が解らず迷宮入りしていた。ところが下の本を読んでいたら、棚から牡丹餅、由来が載っていた。

古本を見つけて購入した「大分の伝説 著者:梅木秀徳、辺見じゅん」
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1980年出版の古本。

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九六位山と尾根続きの夜明ヶ城は用明天皇伝説の地。三重にあった真名野長者を訪ねるため、大分市坂の市地区の王ノ瀬川河口に上陸した用明天皇は、当時まだ橘豊日皇子(たちばなのとよひのみこ)と名乗っていた。王ノ瀬は皇の瀬と書き、天皇上陸にちなむ。皇子はここから山を越えることにし、この峰で夜明けを迎えた。ここから大野川畔に下る谷を大内といい、化粧水、京畑など三十近い地名が用明天皇伝説で語られる。大内の名も大内山、あるいは王内、皇内にゆかりがあるとされる。

以上は本からの引用。

用明天皇が皇子だった時に、真名野長者を訪ねるため山越えする際、夜明けを迎えた場所で、城と言う漢字には王、天皇など高貴な人物の居場所と言う意味もあり、皇子が夜明けを迎えた場所と言うことで、夜明ヶ城となったのだと思われる。
西暦にして500年代後半の話、ロマンを感じる。

皇子は真名野長者の娘と恋仲になり、生まれた子供が聖徳太子であると言われている。地元に伝わる伝承では、聖徳太子は用明天皇と真名野長者の娘「般若姫」との間に生まれた私生児とされている。 小生はこの伝承は事実ではないかと思っている。私生児である聖徳太子の出自が曖昧にされているのも頷ける。