「井の中の蛙、大海を知らず」という有名な格言がある。
小生の好きな荘子の言葉である。

先日、就活を始めた学生に、その視野の狭さを窘めるため、この言葉を使ったところ、学生は、「その言葉には続きがあるんですよね、されど空の青さを知る、が続くんですよ」と返された。
打っても響かない学生が多い中で、間違った認識でも、このように返してくる学生に出会うと嬉しくなる。

当然、その続きの言葉は知っていたが、その続きの部分は荘子の言葉ではなく、日本人が勝手に屁理屈を述べたものであり、良いことを言っている風な、或いは悟りを開いている風な、この続きの言葉が小生は嫌いである。

井の中の蛙も空を知っているだろうが、見えているのは一部分であり、夕焼けも天使の梯子も見えないし、月も見えていないかもしれない。外の蛙は空の全てを見ることができるわけだ。


荘子の全文、本当に続く言葉は以下のとおり。

井蛙には以て海を語るべからざるは、
虚に拘ればなり。

夏虫には以て冰を語るべからざるは、
時に篤ければなり。

曲士には以て道を語るべからざるは、
教えに束らるればなり。

【訳】
井戸の中の蛙には、大海は語れない。
自分の居場所にこだわっているから。

また、夏の虫に氷は語れない。
夏の季節しか考えないから。

大局を見ないものは真理を語れない。
卑俗な教理に捉われているから。


荘子の思想は、恰もアイソーポスの寓話のようで素晴らしいと思う。
それに対して、日本で勝手につけられた「されど・・」は、アイソーポスの「すっぱい葡萄」に登場する狐の負け惜しみのようであり、残念な言葉である。

仮に「されど・・・」を使うなら、外の蛙には手に入れられないものが続かなければならないはずだ。
外の蛙のほうが、より多くの空を知っているのだから。

He that stays in the valley shall never get over the hill.