腕時計には機械式とクォーツ式があって、それぞれの魅力がある。
2本所有することが可能であれば、機械式とクォーツ式、金属ベルトと革ベルト、3針式とクロノグラフのように違うタイプの物、できれば文字盤の色やデザインも違う物にしたほうが変化があっていい。
2本所有することが可能であれば、機械式とクォーツ式、金属ベルトと革ベルト、3針式とクロノグラフのように違うタイプの物、できれば文字盤の色やデザインも違う物にしたほうが変化があっていい。
左が機械式で右がクォーツ式
時計は軽くて正確で衝撃に強くメンテも不要、置いていても止まらない、何より価格が安いクォーツ式の方が良いに決まっている。機械式時計が不便で低性能だから、便利で高性能なクォーツ式時計が開発されたのだ。
仮に腕時計を1本だけにするとしたら、機械式では心許ないので間違いなくクォーツ式にする。価格がネックにならなければ、GSのような上質なクォーツ時計を買って末永く使うのが理想であろう。
個人的には、クォーツはソーラー式や電波式より電池式が好きで、特に年差クォーツは最強であると思っている。
時計は軽くて正確で衝撃に強くメンテも不要、置いていても止まらない、何より価格が安いクォーツ式の方が良いに決まっている。機械式時計が不便で低性能だから、便利で高性能なクォーツ式時計が開発されたのだ。
仮に腕時計を1本だけにするとしたら、機械式では心許ないので間違いなくクォーツ式にする。価格がネックにならなければ、GSのような上質なクォーツ時計を買って末永く使うのが理想であろう。
個人的には、クォーツはソーラー式や電波式より電池式が好きで、特に年差クォーツは最強であると思っている。
しかし、どちらが良いかと言えばクォーツなのだが、どちらが好きかと言うと、機械式時計のほうが好きである。
理性、或いは、理屈ではクォーツが良いと分かっているのだが、値段が高くて重くて不正確で、脆弱、かつメンテナンスの必要がある不便な機械式のほうが、非合理であるが何となく好きなのだ。特に複数所有すると、無駄に動き続けているクォーツより、使わない時は止まってくれている機械式の方が心も落ち着く。
理性、或いは、理屈ではクォーツが良いと分かっているのだが、値段が高くて重くて不正確で、脆弱、かつメンテナンスの必要がある不便な機械式のほうが、非合理であるが何となく好きなのだ。特に複数所有すると、無駄に動き続けているクォーツより、使わない時は止まってくれている機械式の方が心も落ち着く。
秒単位の時間に支配されずに、ゆとりを感じていたい。
現実に秒単位で動くことは少なく、また秒単位で動くとしたら何気にストレスを感じているだろうが、何時頃に出発しようというような、おおよその時間との付き合い方のほうが、リラックスしてストレスがないと思う。
多少時間が狂う機械式時計のほうが、自分の性格に合うようだ。
たまに地下鉄などで秒単位の正確性が求められる時はスマホを見ればいい。
現実に秒単位で動くことは少なく、また秒単位で動くとしたら何気にストレスを感じているだろうが、何時頃に出発しようというような、おおよその時間との付き合い方のほうが、リラックスしてストレスがないと思う。
多少時間が狂う機械式時計のほうが、自分の性格に合うようだ。
たまに地下鉄などで秒単位の正確性が求められる時はスマホを見ればいい。
時計は実用だけでなく自己表現のファッションでもある。
もはや、機械式腕時計は実用品としては“いらないもの”であるが、その“いらないもの”を身に着けることが趣味でありファッションであると思う。
となると、機械式にデザインが優れる物が多く着用時の満足感という点で優れる。
もはや、機械式腕時計は実用品としては“いらないもの”であるが、その“いらないもの”を身に着けることが趣味でありファッションであると思う。
となると、機械式にデザインが優れる物が多く着用時の満足感という点で優れる。
手間がかかるのは煩わしいことだが、手間がかかるから愛着が涌く。
機械式時計を駆動させているのは自分であり、自分が関わらなければ止まってしまう。だからクォーツより自分との繋がりが深く、愛着を覚えるのだろうと思う。
機械式時計を駆動させているのは自分であり、自分が関わらなければ止まってしまう。だからクォーツより自分との繋がりが深く、愛着を覚えるのだろうと思う。
機械式とクオーツは絵画と写真の関係に似ている。
正確さでは、絵画は写真に敵わない。しかし、絵画には写真とは違う表現方法としての魅力がある。
工芸品である機械式時計も同じようなものだと思う。
正確さでは、絵画は写真に敵わない。しかし、絵画には写真とは違う表現方法としての魅力がある。
工芸品である機械式時計も同じようなものだと思う。
よく機械式時計にはロマンがあると言われる。
ロマンを積極的曲解により 「意味や実用性は皆無で非合理的に思える、だけど格好良い事」 と定義すると、正に機械式時計にはロマンがあると言える。
ロマンを積極的曲解により 「意味や実用性は皆無で非合理的に思える、だけど格好良い事」 と定義すると、正に機械式時計にはロマンがあると言える。
クォーツのアンチテーゼとなる機械式のほうが好きである。
未だ完全には理解されていない自己と時間との相関性の陳腐化を免れ続けている「今」という概念の現実世界への投影が時計であり、死ぬまでに陳腐化することの無い自己との相関性を理解し得る「今」を現在進行形で回避し続けることで時計たり得る。秩序を持つ完結した文字盤を連続的に動く機械式の秒針に、正しく過去に去っていく時間を感じ、自分と宇宙との相関性を認識させられ、止まってしまうと生命の雫は陳腐化を免れなくなる。
未だ完全には理解されていない自己と時間との相関性の陳腐化を免れ続けている「今」という概念の現実世界への投影が時計であり、死ぬまでに陳腐化することの無い自己との相関性を理解し得る「今」を現在進行形で回避し続けることで時計たり得る。秩序を持つ完結した文字盤を連続的に動く機械式の秒針に、正しく過去に去っていく時間を感じ、自分と宇宙との相関性を認識させられ、止まってしまうと生命の雫は陳腐化を免れなくなる。
機械式時計は恰も小宇宙の様である。
幼い子供が夕方道端で一人でしゃがみ、水溜りの小石をかき回して遊んでいる。
そうして暗くなる頃に母親に呼ばれて、最後に勢いよくかき回して、家に帰って行くのだけれど、その子が去ったその後も、暮れ泥むその水溜りでは小石や砂が回り続け・・・宇宙とは、その様なものか、と、ふと考えてしまう。
そうして暗くなる頃に母親に呼ばれて、最後に勢いよくかき回して、家に帰って行くのだけれど、その子が去ったその後も、暮れ泥むその水溜りでは小石や砂が回り続け・・・宇宙とは、その様なものか、と、ふと考えてしまう。



コメント
コメント一覧 (2)
月野 星也
が
しました
そして、自我の概念がだんだん薄くなってくる気がする今、自分の存在はただの宇宙の最小の縮図のような気分になります。
月野 星也
が
しました