以前から行ってみたいと思っていた戸次川の戦いの舞台である鶴賀城を訪れた。

砂利道を進み二の丸跡を過ぎると、土の道になる。
本丸近い所に車を停めて、ここからは徒歩で進む。
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本丸方面へ。
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更に進む。
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本丸の城址に到着。鶴賀城跡は標高193mの利光(としみつ)山の山頂にある。
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本丸跡からは、戸次川古戦場の大野川が良く見渡せる。
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城址案内図
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戸次川(大野川)古戦場の近くの土手にて(後日に撮影)。
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戸次川古戦場から鶴賀城のある利光山を望む。中央左の一番高い部分が、たぶん鶴賀城の本丸跡。
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戸次川の戦い
1587年、豊臣秀吉による九州平定の戦いの一つで、大友家救援を名分とした豊臣連合軍と九州統一を目指す島津家との戦い。
豊臣軍は島津軍の「釣野伏の戦法」に引っかかり、仙石秀久隊の壊滅や長宗我部信親・十河存保らの討死など豊臣軍の惨敗に終わった。

血に染まったロレックス・・・戦国武将の呪いか?
鶴賀城へは雨上がりの夕方に行ったのだが、明るい内に帰るつもりで、17時を過ぎてから車に戻り、バックして二の丸前の少し広い所まで戻り、そこでUターンするつもりだった。
ところが、雨上がりの土の坂道でスリップして二の丸まで登れないという窮地に陥ってしまった。
だんだん暗くなって、辺りは樹木が強風で不気味に音を立てて揺れている。
狭い道で無理やりUターンして、前進なら坂を上って二の丸前まで行けるかもしれない。
強引にUターンを試みるが、スリップし前輪が崖ギリギリの土に埋まって全く動けなくなり万事休す。
時刻は18時前、夕闇が迫り、場所が場所なだけに薄気味悪いが、そういうのは平気なので、何とか脱出手段はないかと、木の枝や雑巾をタイヤの前後に敷き詰めたりしていた。
真っ暗になり、懐中電灯で腕時計を見たら、真っ赤で文字盤が見えないではないか!
動かなくなった車で頭の中が一杯なこともあり、一瞬状況が理解できなかったが、よく見ると左手が真っ赤で大流血していた。痛みはなかったので、いつの間にか怪我をしていた事に気が付かないまま、脱出作業をしていたようだ。
ハンカチで止血し、脱出作業を続けるが、タイヤはスリップして土に埋まって行くだけで全く動かない。
薄気味悪い暗闇の中、強風でとても寒くて、更に怪我をしたこともあり戦意喪失し、仕方なく携帯電話でJAFに救援依頼をする。郊外の山中でもありJAF到着には1時間40分も要した。
どっどどどどうど どどうど どどうっと強風で樹木が揺れる山中での1時間40分はとても長く感じた。すぐ後ろに戦国武将が出てきそうな気もするし、頭上を風の又三郎がガラスのマントで飛んでいるのではないかという情景。
19時20分頃、二の丸方面からヘッドライトの光が見えた。JAFの四輪駆動車が到着。
この前後は余裕がなかったのと、一眼レフを血で汚したくなかったので、写真は撮っていない。
JAF大分基地隊員の吉武正人さんの完璧な救援作業は感動物だった。技術だけでなく人柄も素晴らしい方で、JAFは素晴らしいと思った。
県外ナンバー(しかも遠い都道府県)の乗用車が、なぜ平日のこんな時間に、こんな場所で?
しかも左手は血まみれ。
JAFの方も不審に思われたかもしれないが、お蔭様で無事生還できた。
泥だらけになったメルセデスは、翌日ガソリンスタンドで床面やタイヤの洗いをしてもらった。
血に染まったロレックスは、幸い潜水OKのサブマリーナだったので、水に浸けて丸洗いした。
茶色の革ジャンの左袖は、血で真っ赤に染まっていたので洗い流した。

今回の教訓:雨上がりの土の山道は普通乗用車で強行してはならない。行くなら四輪駆動車で!

後になって考えたら、四駆ではない乗用車とはいえ、全く動かなかったのはおかしい。メルセデスにはESPというコンピューターによる横滑り防止装置が装備されていて、舗装路面では絶大な威力を発揮するのだが、泥道などでのスタック時は、これを解除すべきだったのかもしれない。